予震が収まらず,マスコミの基盤が液状化している.
揺れに耐えられず,出る釘に掴まりだした.
党派内までねじれた国会では,記者も生き残りが難しい.
国の政治家にとって政党とはなんだろう?
どおやらサラリーマンから見た寡占企業のようなものらしい?
集客,集金システムを身内で継承する企業に一度在籍すれば,大量の銀行融資や外資が入っても,簡単にその会社を止めようとは思わない.どうにも我慢できず別会社をつくってみても,職種が同じなら元の会社との競合は避けようがない.ほとんどの消費者が勝者にばかり目を向ける不条理.吸収合併に疲弊し,結局利潤追求型の企業を辞めて本来の公的職務につく他はないのだ!
その唯一の近道が財政の傾いた地方自治体の長であり,立て直しのための地方政党の設立やその連携的結束だ.これは素晴らしいアイディアで,国家基盤の分解・洗浄・修理なのである.矛盾した地方自治が真の地域自治となるとき,初めて日本政治の民主化が始まるだろう.残された希望の道である.
この大震災で東日本が地域自治に目覚めるか否かが,日本の未来を決めるとも思える.旧態然とした政治家が復旧予算の我田引水に走り回る.震災のための補正予算とは,国民相互の保険でもあるのだから,地元の政治家に決して媚びることなく,正々堂々と義援,支援,補助,助成などを獲得して欲しい.そうなってこそ,気持ち良く私達の国家が国民の下僕でいられるのだ.
これからの道州制の導入とは,独占的電力会社の列島腑分けのようなものになってはならない.スマートグリッドのような地域の自立的活力なくしては,結局地方の結束による国家的事業もバランスを欠いたものとなる.自己責任,地域責任があってこそ,国家の責任も明確になるのだ.電力も政治も経済も芸術さえも正に同様である.輸出産業に偏りすぎた治世は,国家を脆弱な体質にする.日本においては,戦勝国を相手とした非対称な商戦の時代が終わりつつある.
かつて鎖国ができた日本は,当然ながらエネルギー自治国家であった.その余力有る国家が開国したのであるから,そこには素晴らしい活力が生まれたわけである.いま中国と日本は正反対にある.今の日本におけるアヘンとは何だろう?すでに魅力を失った快楽を未練がましく求めてはいないだろか?住まい方を基本的に見直す時代がとうに来ているのだ.朝の目覚めから就寝時まで,生活の楽しみ方は,すでに変わってきている.現代の三種の神器とは,家電ではなく,心を写す「鏡」
は「芸術」であり,具体的に状況を切り開く「剣」は「科学と技術」,そして磨けば輝く「玉」とは「自己実現」のことであろう.「剣」だけは十分に鍛えた.だがそれは自制が必要な「両刃の剣」であった.この努力をもってすれば「鏡」と「玉」が手に入らぬわけはない.それは他人から奪うものではなく,すでにそれは手の中にある.落ち着いて眼差しを向ければ,苦もなく見出せることなのだ. isi