2011年9月18日日曜日

流れないゲームを!

 勝負が付かないで終わったゲームを「流れた」といいます.先日,久々に仲間とjigsaw puzzleをやりました. かつて美しいかった都市の地図です.歳のせいなのか自制心が失せ,徹夜を重ねてしまいましたが,おかげで危うく流れそうなゲームを食い止めました.

最期の難関は,ジグソウパターンの見分けが決め手となる白紙の画面枠.真っ白のピースを寸法順に重ねての膨大な順列組合せ,消去法,なげやりな直感力!集中力を欠いた為にかえって視点のフットワークが効きました. そして,とうとう迎えたゲームの後始末.普通なら再びバラして箱に入れるのですが,今回はやめました.余りにも困難だった3列もの白枠部分の組み立てを糊で留めることにしたのです.歳の性でしょうかね?もう流すことが不憫に思えて….(笑)


というわけで…日本の文化もそろそろ変えないと再起不能になります.地球も,資源経済もそろそろ成長の鈍化するお肌の曲がり角.「Jigsaw puzzleは完成を留める.」こんな価値観がこれからは必要ですね.そのかわり,感動のない繁雑な「上がり」はひかえましょう.当事者だけの感動もちょっと寂しいですね.そこで必要なのがいくばくかの芸術性です.現実の人生ゲームにおいても,利便性だけでなく,こころの拠り所を芸術性へと高めることが,感動の共有へとつながります..誰もがいつかは振り出しにもどるのですから.子供達には是非とも決して流れず,振り出しに戻らない文化を残すことを伝えましょう.押しつけではなく解釈の自由を求める文化を….

2011年7月4日月曜日

復旧と復興

  復旧と復興の違いが強調されるが,どちらも困難なことだ.ましてや日常が続けば,その破壊などあり得ない.従って情報革命はもっと大変だったのである.現在立派に稼働しているものを自ら破壊したわけであるし,老いも若きも,新しい価値観のなかで,全く異なった手法を取り込んで,復興を計ったのだ.情報革命がやっと人事異動の苦境を切り抜け,第2波,第3波が押し寄せる中で新たな挑戦をしようという矢先,革命の波を避けていた林業,農業,漁業,電力業へとこの地震と津波は難問を突きつけた.行政も政治も大混乱であるが,この災いを転ぜずしてどうしよう.確かに復旧と復興は違うのだ.

 とはいえ,国際的権益のからむ世界の動向はかなり複雑である.やや古典的な領土問題,通貨問題,食料問題,資源問題,エネルギー問題,低炭素問題,そして賃金格差の問題など,国際資本は,目眩ましのごとく問題提起に躍起である.ただ庶民として唯一知るところは,現実を無視した抽象はやがてほころぶという事だ. isi

 

2011年5月20日金曜日

いまこそ地域の自治と自己実現の再考を!

 予震が収まらず,マスコミの基盤が液状化している.
揺れに耐えられず,出る釘に掴まりだした.
党派内までねじれた国会では,記者も生き残りが難しい.
国の政治家にとって政党とはなんだろう?
どおやらサラリーマンから見た寡占企業のようなものらしい?
集客,集金システムを身内で継承する企業に一度在籍すれば,大量の銀行融資や外資が入っても,簡単にその会社を止めようとは思わない.どうにも我慢できず別会社をつくってみても,職種が同じなら元の会社との競合は避けようがない.ほとんどの消費者が勝者にばかり目を向ける不条理.吸収合併に疲弊し,結局利潤追求型の企業を辞めて本来の公的職務につく他はないのだ!
 その唯一の近道が財政の傾いた地方自治体の長であり,立て直しのための地方政党の設立やその連携的結束だ.これは素晴らしいアイディアで,国家基盤の分解・洗浄・修理なのである.矛盾した地方自治が真の地域自治となるとき,初めて日本政治の民主化が始まるだろう.残された希望の道である.
 この大震災で東日本が地域自治に目覚めるか否かが,日本の未来を決めるとも思える.旧態然とした政治家が復旧予算の我田引水に走り回る.震災のための補正予算とは,国民相互の保険でもあるのだから,地元の政治家に決して媚びることなく,正々堂々と義援,支援,補助,助成などを獲得して欲しい.そうなってこそ,気持ち良く私達の国家が国民の下僕でいられるのだ.
 これからの道州制の導入とは,独占的電力会社の列島腑分けのようなものになってはならない.スマートグリッドのような地域の自立的活力なくしては,結局地方の結束による国家的事業もバランスを欠いたものとなる.自己責任,地域責任があってこそ,国家の責任も明確になるのだ.電力も政治も経済も芸術さえも正に同様である.輸出産業に偏りすぎた治世は,国家を脆弱な体質にする.日本においては,戦勝国を相手とした非対称な商戦の時代が終わりつつある.
 かつて鎖国ができた日本は,当然ながらエネルギー自治国家であった.その余力有る国家が開国したのであるから,そこには素晴らしい活力が生まれたわけである.いま中国と日本は正反対にある.今の日本におけるアヘンとは何だろう?すでに魅力を失った快楽を未練がましく求めてはいないだろか?住まい方を基本的に見直す時代がとうに来ているのだ.朝の目覚めから就寝時まで,生活の楽しみ方は,すでに変わってきている.現代の三種の神器とは,家電ではなく,心を写す「鏡」
は「芸術」であり,具体的に状況を切り開く「剣」は「科学と技術」,そして磨けば輝く「玉」とは「自己実現」のことであろう.「剣」だけは十分に鍛えた.だがそれは自制が必要な「両刃の剣」であった.この努力をもってすれば「鏡」と「玉」が手に入らぬわけはない.それは他人から奪うものではなく,すでにそれは手の中にある.落ち着いて眼差しを向ければ,苦もなく見出せることなのだ. isi

2011年5月11日水曜日

一安心.でも未だ揺れている.

ドイツが頑張っていなかったら,
浜岡原発を中止できなかったかもしれませんね.
ドイツのソーラー振興策に拍手です!
フランスは隣接国に売電までしている.
あと何年ワインが輸出できるだろう….
http://en.wikipedia.org/wiki/Nuclear_power_in_France

いよいよ夏場の節電です.
これからの食は,できるだけエネルギーを使わないメニューが称賛されるかもしれませんね.
【エコカロリー】=【摂取カロリー】-【調理用カロリー】
思いつきですが,これが高いほどキッチンは涼しくなるはずです.(笑)
でも常温料理って難しそうですよね.ほとんどマイナスか….

何と言ってもエネルギーを使わないのは動物の食生活です.
死と食が隣り合わせなら新鮮で柔らかいわけだ. 汗;
ライオンや虎からみればユッケ騒動は滑稽でしょうね.
これは贅沢というのでしょうか?
やはり食の複雑化も考え直すときでしょう.
大量在庫の冷凍食品,缶詰やお菓子の過剰包装,自販機飲料,
ビールもアルミ缶の精錬電力や冷蔵電力を考えると涼しくありません.

やはりこれも産業革命以前から考え直した方が良さそうです.
過去に戻るのではなく,過去の文化を見直すことです. isi

2011年4月13日水曜日

かくも寛容なる組織



また散ったはずの花を咲かす!


枝先は満開.幹部も実に寛容だ.終止符としての花ゆえだろうか?
仇桜と言われても,毎年なんら遜色なき継承を平然と披瀝する.


この生き様には,持続の美がある.
花とは表現であり,そのひとひらは消えゆくパケットだな.♪
饒舌の後  長い夏の沈黙.

でもサクラは, アキラメナイ….


2011年4月6日水曜日

初めてのことは楽しく….

TwitterもBlogも要領を得ない.変わらぬ日常がある内に身軽になっておこうと始めたが,どんな状況下であれ,はじめはやはり初心者.是非とも大目に見たいただきたい.
初心忘るべからずであるので,この心境は大いに活かせそうだ.

 言葉は飛び交い,もはや誰もが発信者であるが,信源は限られている.地震のように縦波や横波もある.

 他者の情況や怜悧な意見をどのように共有し,状況を把握しつつ行動するか?縦波より素早い通信インフラによる警報が,どれほど今回の被災防止や心の安心に役立ったことか!災害から復興まで,今後はきめ細やかな警報に注意していこう.

 「すぐ来るぞ!」という警告はわかりやすい.しかし,10秒,1分,3分と待って何も起きなければ,信頼はみるみる不信に変わる.もし,一週間,一ヶ月と経って,同じような状態が続くと,もうその警報を誰も信じなくなる.

 しかし,これが放射能となるとあたりまえのようになっている.人間は,放射能に対しては重度の知覚障害なのだ.それでも自然淘汰されることがなかったほど,自然環境は穏和だった.だが現代では,そうはいかない.災害を受けそうな原発も羽の生えた原爆も世界中にある.化け猫のごとくしのび寄られ,去った後にその爪痕に気づく.これでは,立法も行政も機能するわけがない.悲しいかな不可視のUFOのごとく騒ぎ立てるマスコミは,風評の苗床となり,学者までもが受け売りの情報を垂れ流す.

 もはや可視化だけが頼りである.放射線の影響は,定性化,定量化が複雑で,一人一人の個別の時間と空間のデータが揃わねば判定ができず,まるで美に捕らわれたのと同様にその放射の程度は,強度と持続の仕方,蓄積による残留値などに影響されるようだ.これでは,なんとも不安が払拭されない.
 ではどうするか?簡単だ.昔流行った話しがある.「猫の首に鈴を付けるには,みんなが付ければいいんだ.そうすれば猫も真似するさ!」 なるほどである.そこで,気休めに下記リンクのようなちょっと大袈裟な提案をしてみたい.

放射線量計付き携帯電話の提案
http://arsnote.com/LINK/catsbell-2.pdf

 
 

2011年4月4日月曜日

自然は脅威か?

 脅されているわけではないので,天災はこれほど残忍で恐ろしくとも憎めない.どれほど恨んでいても,また天災はやってくる.

 引け際がはやいTUNAMIは,もう春の顔だ.自然に意思が無くてなんとも幸いだが,死ぬほど怨んでやっても反省はしまい.

 さて,天災に関わる人災は厄介だ.災が災を呼ぶからだ.歴史を省みながら,慎重に日々の決断をする以外に,手立てはない.

 自然は手加減もするが,容赦もない.思い上がらず,怯まず,無心を持って,科学的に対処せざるを得ない.怖くて楽しい相手だが,こんなにひどい仕業となれば,やはり悲しい.

 泣いては居られないと思う内に,もう花の季節とは…あまりにも非情である.ならば,泣けない自然に代わって,花を愛でながら泣いてやろう. isi